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仙台高等裁判所 昭和45年(う)224号 判決

被告人 岩崎永晃

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金一〇、〇〇〇円に処する。

右罰金を完納しないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審および当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人坂田治吉、同佐藤貫一、同林久二、同柴田正治、同神山欣治各名義および指定弁護士両名共同名義の各控訴趣意書記載のとおりであり、指定弁護士の控訴趣意書に対する答弁は右弁護人ら共同名義の答弁書記載のとおりであるから、いずれもこれを引用する。

坂田弁護人の控訴趣意第一(訴訟手続の法令違反および審判の請求を受けた事件について判決をせず、これを受けない事件について判決をした違法)について

所論は要するに、本件「事件の要旨」と「訴因の追加申立書」に記載の事実との間には、公訴事実の同一性はなく、仮にこれが認められるとしても、前者の特別公務員暴行陵虐罪と後者の特別公務員職権濫用罪との間に事件の単一性は認められず両者は併合罪の関係にあるのに、指定弁護士がこれらを観念的競合の関係にあるものとして訴因の追加をしたものと解し、両者の間に公訴事実に同一性があると認め、右訴因の変更を許可した原審の訴訟手続には判決に影響を及ぼすことが明らかな違法がある。また、「訴因の追加申立書」に記載の「同人(本館弘)が否定するにもかかわらず、くりかえし執拗に共産党との関係を問いただした」ことが陵虐の訴因であるとする指定弁護士の釈明からすれば、この点について原審は判決中においてなんらの判断を示していないのであるから、原判決は審判の請求を受けた事件について判決をしなかつた違法があるし、原判決書二丁裏の三個の発言を内容として「同人と共産党との関係の有無に関して執拗に話しかけ」、「よつて……職権を濫用して不法に監禁」したとするのであれば、右陵虐の訴因について、全く別個の事実である監禁を認定したことになり、審判の請求を受けない事件について判決をした違法があつて、いずれにしても原判決は破棄を免れない旨主張する。

よつて判断する。本件付審判決定における「事件の要旨」と「訴因の追加申立書」の公訴事実とを対比して検討すると、「右本館に対し、同人が否定するにもかかわらず、くりかえし執拗に共産党との関係を問いただした。」点および「右本館がこのような追及に憤然として立ちあがり、右松風の間から退去しようとするや、これを阻止しようとして、右松風の間に接する廊下のところまで追いかけていき、背後から右本館の背広やワイシヤツを引つぱつて押えつけ、さらに逃れようとする同人の両上腕部をつかみ、あるいは両手を脇の下に入れて押えるなど」の暴行を加えた点において両者の間には同一の記載が認められる。そして、前者の罰条は刑法一九六条、一九五条一項をかかげ、後者はこれに付加して、同法一九四条をかかげている。してみれば、右の暴行は両者において同一の事実を対象としていること、前者はこれを特別公務員暴行陵虐罪の要件事実たる暴行として評価し、後者はそのほか特別公務員職権濫用罪における監禁行為の手段としても評価し、両者の関係を観念的競合の関係にあるとしていることがうかがわれる。また、原判決が右両罪の関係を手段たる暴行は、監禁に吸収されるとして、職権濫用罪のみの成立を認定したことは、その判文上明らかである。以上のような事実関係からみると、本件暴行において、「事件の要旨」と「訴因の追加申立書」の事実との間には基本的事実関係を同一にするものといえる。

特別公務員職権濫用罪と同暴行陵虐罪の関係については、その重要な構成要件事実について行為に共通するものがある限り、それを観念的競合と解することも理由がないということはできないのであるから、訴訟手続の過程において、指定弁護士から右見解のもとに本件訴因の変更の申立がなされ、裁判所がこれを許可したからといつて、その訴訟手続が法令に違反するということはできない。

ところで原判決は被告人の職権濫用による監禁の手段として、右追加された訴因にかかげられている午後六時四〇分ころの暴行のほかは、これに引続く午後八時三〇分ころの宿泊客による引き止めの行為および午後一〇時三〇分ころに至る執拗な話しかけをも監禁の手段として判示していることは所論のとおりであるが、原判決を仔細に検討すると、原審は付審判決定および追加された訴因について指定弁護士が陵虐にあたるとして釈明した暴行以外の所為は陵虐行為とは評価しなかつたものと解されるのみでなく、原判示の午後一〇時三〇分ころまでの監禁行為自体は訴因として明示されておるところであり、たゞその手段たる行為は前記午後六時四〇分ころの暴行に引続く一連の行為がこれに該たるものと判断したものと解される。したがつて右の手段たる行為について訴因の変更を経ることなく、これを認定した点において訴訟手続に法令違背が存するとすることは格別これをもつて審判の請求をうけない事件について判決し、あるいは審判の請求をうけた事件について判決しない違法があるとすることはできない。論旨は理由がない。

同第二(訴訟手続の法令違反および不法に公訴を受理した違法)について

所論は、特別公務員暴行陵虐罪と同職権濫用罪との関係は併合罪であるとし、公訴事実としては別個に両者の訴因を区別して記載すべく、これを混同して記載した本件訴因の追加申立書の公訴事実は、訴因の特定を欠くものであるから、原審としてはこの点について指定弁護士に対し釈明を求め、刑事訴訟法三三八条四号によつて公訴棄却の判決をすべきところ、実体について判決をした原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反と、不法に公訴を受理した違法がある旨主張する。

しかし、本件公訴の提起は、本件付審判決定があつたことによつて、擬制されたものであり、当初の審判の対象は右決定の「事件の要旨」であるから、その記載自体において所論のような点が認められない本件においては、その故に公訴棄却の判決をなすべき筋合いはない。所論は、ひつきよう、訴因の変更手続の違法をいうに過ぎず、前提を欠き採用の限りでない。論旨は理由がない。

同第三中理由不備ないしくいちがいの論旨について

所論は要するに、原判決が「やぐら荘」に対して支払われた代金が捜査費から出されていることを理由として、本件午後一〇時三〇分ころ迄に至る被告人の所為がその職務遂行中になされたとしたのは、理由不備ないしは理由にくいちがいがある旨主張する。所論は、ひつきよう、証拠の採否、その評価について原審が判断を誤つた結果、事実を誤認したとの主張をいでないものであることは、論旨自体において明らかであるから、事実誤認の論旨としては格別、理由の不備ないしくいちがいの論旨としては理由がない。

同第四(訴訟手続の法令違反および理由不備)について

所論は要するに、原審は、訴因の追加申立書の公訴事実には「職権を濫用し」との抽象的記載のみがあり、その具体的事実の記載を欠くから、被告人が具体的に特定の職権について一般的権限を有していたこと、右職権を不法に行使したか、外見上職権行使と見られる行為が存在したこと、右についての認識の三点について指定弁護士に釈明を求め、訴因を明確にする義務があるのに、その義務を尽さず判決をした点に訴訟手続の法令違反があり、その違反が判決に影響を及ぼすことが明らかである。また、これらの点について、「もつて、職権を濫用して不法に監禁」したと抽象的に摘示した原判決には理由不備の違法がある旨主張する。

しかし、本件訴因の追加申立書には、被告人が宮城県巡査部長として仙台中央署に勤務しているものなる旨および当時の職務内容についての記載があつて、その一般的職務権限のあることについての記載として欠けるところはなく、濫用の内容として、くりかえし執拗に……問いただし……以下暴行の事実を記載し、それが捜査の手続の過程においてなされたものであるとの主張であることは、その全体の記載自体から容易に認められ、これらについての被告人の認識は、その事実自体から認められるのであつて、公訴事実が違法、有責な構成要件該当の事実を具体的に記述するものであることから、特別に法律上の要件として定められた場合のほか、逐一主観的認識を摘示する必要はないものと解される。したがつて原審が所論の点について釈明をしなかつたからといつて違法の廉はない。また、右と同様の趣旨から原判決を通読すると、これらの点について理由を付していることは明らかであつて、原判決に理由の不備があることは認められない。論旨は理由がない。

林弁護人の控訴趣意第一点(不法に公訴を受理した違法)について

所論は要するに、本件付審判決定書には事件の要旨の記載はあるが公訴事実の記載がないのであるから、原審はこれを明確にするか、要件を欠くものとして却下すべきであつたのに、実体判決をしたことは、不法に公訴を受理したものである旨主張する。

しかし、裁判所が審判に付するのは、その請求を受けた事件であつて、その決定がなされたとき、その事件につき公訴の提起があつたものとみなされるのであるから、その決定には公訴事実に要求される要件事実が記載されていれば足り、その標題において「事件の要旨」として表示したからといつて、刑事訴訟規則一七四条一項に規定する起訴状に記載すべき事項中公訴事実の記載がないとすることはできない。本件付審判決定の「事件の要旨」には、それぞれ日時、場所、方法をもつて、訴因を明示し、その罪名、罰条と共に罪となるべき事実を特定していることは、その記載自体から明らかであるから、右決定に違法な点はなく、これについて審理をし実体判決をした原審の手続は正当であつて、なんら違法の廉は認められない。論旨は理由がない。

同第二点(理由不備または理由そご)について

所論は要するに、本件審判に付された当初の罪名は、特別公務員暴行陵虐致傷罪であるのに、原判決は訴因の変更を経て特別公務員職権濫用罪を認定し、両者の関係を観念的競合であるとしたが、前者の陵虐についていかなる認定をしたのか、原判決理由のどの部分であるのか不明確であるのみならず、陵虐の事実は存在しないのではないかとの疑いすらあつて、これらの点において原判決には理由不備ないしそごがあつて破棄を免れない旨主張する。

しかし、原判決は、右両者の関係を観念的競合とはみず、「暴行が監禁の手段としてなされたと認められる本件においては、右暴行は特別公務員職権濫用罪に吸収され、別罪を構成するものではない」旨説示し、他の理由と併せて通読すると原判決は指定弁護士が陵虐に該ると釈明した暴行以外の点については、その起訴がなかつたと解したか、あるいはそれに該らないものと評価し、公訴事実の同一性が認められる範囲内において事実の認定をしたものと認められるのである。したがつて原判決の所論のような理由不備ないし、そごがあるとは認められない。論旨は理由がない。

同第三点訴訟手続の法令違反について

(一)  所論は、本件付審判決定書には公訴事実の記載がなく、公訴提起の手続がその規定に違反し無効であるときにあたるのに、判決をもつて公訴を棄却しなかつた原審の手続は違法であつて原判決は破棄を免れない旨主張する。

しかし、本件付審判決定書に公訴事実の記載がないとすることのできないことは、さきに説示したとおりであるから、所論は前提を欠き採用の限りでない。

(二)  原審は、指定弁護士に対し、陵虐の訴因の明示を命ずることなく、その明示および明確な立証を欠いたまま判決したが、右は、適切な訴訟指揮をせず、釈明義務に違反した違法がある旨主張する。

しかし、本件付審判決定書、指定弁護士の訴因の追加申立書の各記載を仔細に検討すると、本件において審判の対象として明示されたものは暴行であつて、右決定書には罪名としては暴行陵虐罪として記載されているものの、それは右の暴行について同一条文に規定されている罪名を記載したものと解されるし、原審裁判長は、第二三回公判廷において、指定弁護士に対し「訴因の追加申立書」記載の公訴事実について、陵虐が訴因として掲げられているか否かをただし、これが訴因であるとの回答に対して、さらにどの部分が陵虐にあたるかについて重ねて釈明を促し、これに対し阿部指定弁護士が「暴行以外のすべての肉体的、精神的苦痛である、具体的には、たとえば「同人が否定するにもかかわらず、くり返し執拗に共産党との関係を問いただしたとか……」の行為である」旨の釈明をしていることは原審第二三回公判調書上明らかであつて、原審がこの点について釈明義務を怠つたということはできず、それが陵虐にあたるか否かは、原審の事実認定および法律解釈の問題であつて、自ら問題を異にしているのである。

したがつて、原審が釈明義務を尽さなかつたとか、その訴訟指揮が違法であつたとすることはできない。

(三)  原審が指定弁護士によつて追加変更された訴因と本件「事件の要旨」との間に公訴事実の同一性ありとしてその追加変更を許可して審理したが、右手続は、時期的にも被告人の防禦権を侵害したことが明らかであつて、右手続は訴訟手続の法令違反にあたる旨主張する。

しかし、本件「事件の要旨」と訴因追加申立書中の公訴事実とを対比すると、被告人の本館に対する暴行の点において基本的事実関係において共通することは明らかである。したがつて、両者の間に公訴事実の同一性があることは否定できず、右訴因の変更を許可した原審の措置は、坂田弁護人の控訴趣意第一点の論旨中この点について説示したと同一の理由により相当であるものと認められる。また、記録を調べ審理の経過を逐一検討しても、右変更時には、すでに本件変更後の訴因にかかげられた監禁の点についても十分審理がなされた後であることが認められるのであるから、右訴因の変更許可決定が、被告人の防禦権を実質的に侵害したということはできない。これらの点において原審の訴訟手続が違法であるとすることはできない。

(四)  原判決は、原審証人佐藤銀一の供述の一部を採用しなかつたが、同人の供述は捜査段階から終始一貫しているものであつて、信用すべきものであり、真実発見のためにも重要である。また、同人の裁判官面前調書、検察官調書二通の取調請求を却下し、信用性のない本館弘の裁判官面前調書、検察官調書三通ならびに証言を採用したほか、弁護人の本館新吉、高橋春治の各検察官調書の取調請求を却下し、あるいは指定弁護士に対する不起訴裁定書の提出命令の請求を却下するなどした原審の訴訟手続には審理不尽ないし採証法則の違反があつて破棄を免れない旨主張する。

しかし、原審公判調書を調べると、佐藤銀一については、証人として前後四公判期日にわたつて取調べ、反対尋問も十分尽されていることが認められ、さらにこれら供述と一致するという所論各調書の取調をしなかつたからといつて、これを違法な手続であるとする理由はなく、また、本館弘に対する各調書を取調べた点については、同人は本件の直接の被害者であつて、その証拠価値を認める以上、原審がこれを採用、取調をしたからといつて、その措置が違法であるということもできない。その他所論弁護人請求の各証拠を取調べなかつたからといつて、原審がその裁量にしたがつてした証拠決定を、ただちに違法とすることのできないことも明らかである。

(五)  原審は、弁護人から本館弘、佐藤銀一の供述調書等について、指定弁護士に対し開示の勧告を要求したのに対し、その勧告をせず、やむなく弁護人が内容の判明した調書について、刑事訴訟法三二八条の書面として取調請求をしたのに、その決定を七公判期日、四ヶ月間放置して採否を決定しなかつたなど、原審の訴訟手続には証拠の取調義務に違反した違法がある旨主張する。

しかし、相手方の手持証拠の開示について勧告することは、原審の裁量により決すべきことであり、記録を検討しても、これを行わなかつたことが違法であると認めるに足りる資料も認められないのであつて、この点の手続が違法であるということはできない。また、刑事訴訟法三二八条の証拠の取調請求に対する採否の決定が遅れたからといつて、結局それが取調べられた以上、すでに取調べた証拠の信用性を判断する資料となることは明らかであるから、この点における原審の措置を違法であるとすることはできない。

以上のとおりであつて、論旨はいずれも理由がない。

柴田弁護人の控訴趣意第一点(訴訟手続の法令違反)について、

所論は要するに、指定弁護士は検察官と異なり、付審判事件の公訴を維持するための訴訟行為をなしうるに過ぎず、たとえ公訴事実の同一性が認められる場合であつても、訴因の追加的変更の請求をすることはできない。本件訴因の追加申立書には、審判に付された「事件の要旨」の範囲を超え、被告人が職権を濫用して本館を不法に監禁したとか、暴行の態様を拡げ、傷害の個数、部位、程度を付加しているのであるから、その請求は違法であるのに、これを許可して審判した原審の訴訟手続には違法があつて破棄を免れないというにある。

よつて判断すると、付審判決定によつて、公訴の提起があつたとみなされた時、その事件は裁判所の決定によつて審判に付されたものであるから、公訴の維持にあたる指定弁護士がなす訴因の変更は右決定の趣旨を没却するものであつてはならない。しかし、審理の経過に従つて、基本的事実について別個の法律構成が可能になつたときのように、公訴を維持するため訴因変更の必要を生じた場合にその変更の請求をすることは、指定弁護士としての当然の職責であり、実体的真実の発見に奉仕する所以でもあり、なんら右決定の趣旨に反しないものというべきである。これを本件についてみるに、本件訴因追加申立書記載の内容は付審判決定の「事件の要旨」に比し、所論のような追加的記載がなされているけれども、なんら右決定の趣旨を没却するものでないことは明らかであり、またこれを違法となしがたいことは右に説示したとおりである。

なおこの点については坂田弁護人の控訴趣意第一の論旨について判断したとおり、本件「事件の要旨」と訴因の追加申立書の公訴事実との間に事実の同一性が認められるのであるから、原審のこの点についての訴訟手続に法令の違反があることは認められない。論旨は理由がない。

同第二点中理由そご、審理不尽の論旨について、

所論は要するに、原判決が認定した左上腕部腫脹たる傷害は、本件訴因にかかげられたいずれの傷害にあたるか不明であつて、判決の理由にそごがあるものというべく、また、この腫脹が何時、如何なる機会に、何人によつてなされたものか、あるいは治療期間、さらにこれが刑法上の傷害にあたるか否かについて原審は審理を尽さなかつたのであるから、この点において原判決には違法があり破棄を免れないというにある。

しかし、原判決を通読すれば、本件左上腕部腫脹が、被告人の原判示暴行によつて発生したものと認定したことは明らかであり、それが変更された訴因の両側上腕部打撲症の一部にあたるものであることも認められ、腫脹が医学上の傷病名として認められていないとしても、これを刑法上の傷害とすることになんら支障はない。また、治療の要否、その期間の判示は傷害罪の成立にかかわるところがないのであるから、原判決に理由のそごはなく、原審がこれらの点についてさらに審理を逐げる必要のないことは明らかである。論旨は理由がない。

坂田弁護人の控訴趣意第三の中事実誤認の論旨、林弁護人の控訴趣意第四、第五点、柴田弁護人の控訴趣意第二点の中事実誤認の論旨および同第三点、佐藤弁護人の控訴趣意第一ないし第五、神山弁護人の控訴趣意第一、第二点ならびに指定弁護士の控訴趣意中事実誤認の論旨について、

各所論にかんがみ記録および証拠を検討する。

(証拠略)を併せて判断すると、被告人は当時警察官として仙台中央署に勤務していたが、そのころ発生した山口照子殺人事件の捜査線上に浮んだ本館勝四郎の容疑の有無について特命をうけて捜査に従事し、その必要上同人の兄本館弘と屡々接触し同人に弟勝四郎の筆蹟の入手方を依頼していたところ、同人からこれを入手した旨の連絡をうけたため、本件当日宮城県庁前で同人と待合わせたうえ、かねて知り合つていた佐藤銀一から立寄つて貰いたいといわれていた旅館やぐら荘のことを思い出し、本館を伴つて同旅館に赴いたが、同旅館の使用は前もつて佐藤と打合せたものでないこと、被告人は同旅館二階松風の間において、本館から勝四郎の筆蹟を受取り、勝四郎の性格、友人関係、前記殺人事件についての話などをし、本館からも弟勝四郎の力になつて貰いたいなどと話され、被告人は勝四郎の容疑を晴らすことが第一だなどと話し、その間同旅館支配人佐藤銀一の運んだビールを飲むなどし和やかな雰囲気のうちに午後六時半過になつたこと、被告人としては、それ迄の付合い、話しぶり、人柄などからみて、本館が共産党に関係はないものと思つていたものの、前夜小松忠義巡査部長から、未確認情報として、本館弘が共産党に関係があり、同党の会議に出席したり、同党地区委員会事務所に出入しているし、県庁の共産党の者と一緒に党活動をしているらしいということを聞かされたのを思い出し、今後右殺人事件の捜査について協力して貰ううえからにはある程度捜査の秘密を打明けなければならないので、もし、本館が共産党員であるとすれば、これを確認してからでないと、捜査に協力して貰うことができないと思い、念のため聞いてみようと考え、本館に対し、あんたが共産党に関係しているというんだけど、どうですかなどと切り出し、同人がこれを否定したにもかかわらず、なおも、執拗に県庁のうたごえサークルのことから、共産党主催の会議や共産党仙台地区委員会事務所に出入りしているのではないかとか、県庁職員の共産党関係者二、三の名をあげて、これらの人を知らないか、どうして知つているんだ、どうかね、などと、追討的にあたかも否認する被疑者に対するかのような質問を重ねているうち、本館はついにたまりかねて、そんなこと知らないと怒鳴つて立ち上り、帰るといつて部屋を立ち去ろうとしたが、その間被告人も大声を発したり、追及的言辞を弄したなどのことが認められる。

捜査の協力者として招かれた筈の本館にとつて、右のような質問の内容、および方法が極めて礼を失し、常規を逸したものにうつることは当然であつて、同人が被告人の追及に激昂することはむしろ、自然であると考えられる。しかし、右被告人の質問が非礼かつ常規を逸したものであることは否み得ないとしても、被告人が本館にそのような質問をしたのは、前認定のとおりの趣旨からであつて、それ以上にいでて、同人から特別の情報を得ようとか、スパイになつて貰いたいなどのことを要求したものでないことが認められるし、ましてや、同人がある犯罪に関係があるとか、その事実について追及しようとしていたものでないことも明らかであるから、同人に暴行、脅迫を加えることまでしてその回答を得なければならない性質のものではなく、もとより、警察活動としても重要なものということはできず、このことのために、被告人が死を賭するという筋合いのものでないことは明らかである。

(証拠略)を総合すると、本館は、右のようなやりとりの結果、激昂して帰るべく立ち上つて松風の間から飛び出し、東側廊下に出たところ、被告人としては、同人が情報の提供を求められたものと考えたための異常な興奮に驚き、同人が興奮のあまり廊下東側窓から飛び降りるとか、当時やぐら荘前を通つていたデモ隊に告げ口をされ、右デモ隊がやぐら荘になだれ込むなどの失態を招きたくないことや、同人の誤解をとき被告人の真意を理解して貰うため説得をしようと考えたことから、同人を引き止めるべくその後を追い、同人の左後方から組み付いて種々説得しながらもみ合つているうち、佐藤銀一が同室のドシンという物音を聞いて駈け上つて来、被告人と本館がもみ合つており、本館は前記廊下東側窓のカーテンを掴んでいたのを見て、これを壊されてはいけないと考え、本館の前からその腕などを掴んで押したため、同人と被告人は、松風の間の中に倒れ込んだ恰好になつたこと、右のもみ合いの際における被告人の行為は、左後方から左手で本館の左肩あるいは左上腕部あたりを右手で同人の右肩辺を掴んで、同人の退去を阻止しようとしたものではあるが、右のように階下にいた佐藤が二階での物音を聞き、しかも同人の供述によれば、二階の他の部屋を見てから松風の間の廊下に赴いたというのであるから、時間的にもある程度経過していたことのほか、当時の本館の興奮状態、被告人の前記引き止めに及んだ意図からみても、そのもみ合いなるものが、被告人の供述するように軽度の、単に腕や肩を押えるに止まるようなものでなかつたこと、しかし、室内の物品配置状況、ことにテーブル上のビール瓶、コツプ、茶道具などの配置状況からみると、本館がいうような室内における暴行のおこなわれた形跡はないこと、当夜本件後同室に宿泊した宿泊客佐藤進一によつても、その部屋に特段の異常もなく、本館のいうような障子の破れは認められなかつたなどのことが認められる。

以上の事実関係から判断すると、被告人の行為はそのいうような軽度のものではないが、左背後から本館の右肩および左上腕部を掴んで引き止めた行為以上の事実を認定することはできない。そして当審鑑定人赤石英の供述によれば、右のような有形力の行使をもつてしては、原認定のような腫脹の発生をみることは殆んどあり得ないことが認められる。したがつて、被告人が自ら異常な質問をしたために本館を激昂させ、同人が退去しようとするに際して、これに加えた被告人の有形力の行使は、刑法二〇八条の暴行にあたることは否み得ないところであるが、それ以上の訴因の追加申立書に記載された暴行および傷害の結果を認定することはできず、原判決認定の傷害が発生したと認めることもできない。これに反する本館弘の原審および当審における供述、同人の検察官調書、原審証人平塚巌の供述記載、医師平塚巌作成の診断書ならびに診療録は、いずれも前記認定に照らし本件被告人の右暴行による傷害であるとの事実を証明する資料としては、その信用性を欠き、採用の限りではない。

また、以上のようななり行きおよび、すでに認定したような被告人の意図のもとになされた本件暴行が、被告人の職務となんらの関係を有するものでないことは明らかであつて、これをもつて、被告人がその職権の範囲内でなした行為であるとすることはできない。原判決は右について、本件当日の旅館やぐら荘における費用が捜査費から支払われていることを有力な理由にして職務遂行過程における行為と認定しているが、右は当審証人庄子駒蔵、同佐藤銀一の供述に照らせば、その理由とするに足りないことが明らかである。

本館弘が被告人から前示のような暴行をうけて引き止められた以後同室に午後一〇時三〇分ころまで滞留し、その間被告人との間に種々問答応酬があつたことは証拠上明らかなところである。原判決はこれをもつて被告人の所為による監禁と認定しているので、その間における被告人の所為について検討する。

原判決がかかげるこの点についての関係証拠を調べると、被告人はその後同室内で本館の誤解をとくため種々その意のあるところを陳弁したが同人はこれに納得せず午後八時三〇分ごろに至つた際、被告人はさきに飲んだビールのため吐気を催して便所に立とうとし、本館に対し、「とにかくこんなにいつてもわからないなら帰つてくれ」といつて、ドアのところに立つて行き、一、二歩廊下に出たところ、出合がしらに宿泊客の一人とぶつかりそうになり、その時もう一人の宿泊客が下から上つて来て、なんだうるさいんでないかなどといつて押し戻すような恰好になつて、部屋に入り、被告人はこれに対し、済みませんなどといつて謝まつて便所にいつたことが認められるがその間被告人が右宿泊客に本館を引き止めるような依頼をしたことはなかつたもので、宿泊客がその部屋に入り込んでいたことは被告人の予期しなかつたところと認められる。被告人の本館に対する質問の意図は、すでに説示したとおりであつて、それが警察としてはもとより、被告人にとつても左程重要な事項であるとは認められないのであるから、一面識もない宿泊客に本館の看視を依頼するというような異常な措置は首肯できないし、また予め、本館の退去を阻止するために、わざわざ警察が係官を宿泊者として派遣するという周到な配慮をめぐらしたなどということは考えられないところである。右宿泊客は私服の警察官であるという本館の供述は同人の誤解に基づく臆測と認められる。

また、原判決摘示の「弟のことで協力して来たんだから話せないことはないんじやないか、しやべつてしまえ」などの発言応酬があつたことは、原判決掲記の関係証拠によつて認めることはできるが、これらの発言が本館をして、その意に反して滞留させる意図の下になされたものとは認めがたいし、またそれがかかる手段として相当であるとも認められない。

したがつて、本館弘が同日午後一〇時三〇分ころまで同室内に滞留していたことをもつて被告人の行為による監禁とは認めがたいところであつて、これを肯認した原判決には事実の誤認が存するものと認められる。たゞ本館弘としてはその時刻ころ同室西側窓から戸外に飛び下りて脱出するという異常な行動に出るに至つたところからみて、同時刻ころまで同室に留つていたのはその本意ではなかつたものと認められるが、それにもかかわらず滞留していたのは同人が前記のように宿泊客を私服の警察官であると思い込んでしまつたため、自ら通常の手段では同室から脱出できないものと考えたことによるものと認められるのであり、これをもつて被告人の責に帰せしめることはできない。

本件監禁の手段として原判決が認定した暴行は、すでに説示したとおり、被告人の職務行為としてなされたものではなく、職務を行なうに際してなされたものでもなく、またそれが監禁の手段としてなされたものとも認められないのであるから、監禁を内容とする特別公務員職権濫用罪の成立を肯定した原判決の認定は失当といわなければならない。したがつて、原判決が被告人に特別公務員職権濫用致傷の事実を認定したことは、事実を誤認したというのほかなく、これが判決に影響を及ぼすものであることも明らかであるから、この点において原判決は破棄を免れない。したがつて、指定弁護士のこの点に関する論旨は理由がなく、各弁護人の論旨は理由がある。

佐藤弁護人の控訴趣意第六(法令適用の誤り)について、

所論は、被告人の行為が正当行為あるいは緊急避難行為に該当する旨主張する。

しかし、被告人が捜査の協力者である本館弘に対してあたかも被疑者に対するような執拗かつ非礼な追及をなしたことに端を発し、同人が激昂し、退去しようとしたことから、被告人が本件暴行に及んだことはさきに認定したとおりである。本件被告人の行為について、それが社会的に相当な行為であるとか、同人の危険を防止するためになされた緊急行為であるなどとすることのできないことは以上の経緯によつて明らかであつて、これら違法阻却ないし責任阻却事由の成立を認めなかつた原判決は相当である。論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により、原判決を破棄することとし、指定弁護士の量刑不当の論旨については後記自判の際自らその判断が示されるので、これを省略し、同法四〇〇条但書によりさらに判決をする。

(罪となるべき事実)

被告人は当時宮城県巡査部長として仙台中央署に勤務し、同署長の特命により山口照子殺人事件の捜査にあたつていたが、右事件の容疑者の一人に数えられていた本館勝四郎の筆蹟入手を同人の実兄本館弘に依頼していたところから、昭和四一年一〇月一四日午後五時三〇分ごろ、同人を伴つて、仙台市定禅寺通櫓町二一番地旅館「やぐら荘」の二階松風の間に赴き、同所で目的の筆蹟を入手した際、偶々前夜同僚から同人が共産党に関係があるらしいとの話を聞いたことから、捜査の協力を得る必要上、この際これを聞いておこうと考え、同日午後六時三〇分ころ同人に対し共産党との関係を問い、同人がこれを否定するにもかかわらず、執拗に追及しているうち、同日午後六時四〇分ころ、同人がその追及に憤然として立ち上り退去しようとして右松風の間東側廊下に出たことから、これを阻止しようとして、同人の背後から左手でその左上腕部を、右手でその右肩付近をそれぞれ強く掴んで同人を引き止める暴行を加えたものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二〇八条、罰金等臨時措置法三条一項に該当するところ、所定刑中罰金刑を選択し、所定罰金額の範囲内で被告人を罰金一〇、〇〇〇円に処し、刑法一八条により右罰金を完納しないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して原審および当審における訴訟費用は全部被告人に負担させるものとする。

本件中特別公務員職権濫用致傷の点については犯罪の証明がないことは前記認定のとおりであるが、右は本件有罪部分と観念的競合の関係にあるものとして審判を求められたものと認めるので、主文において特に無罪の言渡をしない。

よつて主文のとおり判決する。

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